プロジェクトZ 大口径主義者たち 「世界一明るいレンズを開発せよ」 |
〜夢のレンズ・廃墟からの誕生〜
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手元に昭和28年11月20日付けの朝日新聞のコピーがある。
まだ敗戦の痛手が完全には癒えていない時代背景もあるのだろうが、世界一明るいレンズを、日本の聞いたこともない会社が開発したということが本当に明るいニュースとして記事になっている。 |

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| 以下引用 |
世界一明るいレンズ
ズノーF1.1の量産に着手
苦心十年の実結ぶ
スイスから早くも注文
F1.1という世界最高の明るさをもったカメラ・レンズが生まれた。二年前F1.4のレンズを生み出した日本光学界がふたたび躍進を示したといっていいだろう。人間の眼(標準1.3)よりも明るく、製作不可能といわれたレンズをついに新方式で完成、大量生産を可能にしたのは帝国光学工業(東京中野区大和町)の社長鈴木策雄、技術部長浜野道三郎の両氏。完成と同時に外国に大きな反響を呼び、アメリカの八社から紹介を受けたが、試作品を検討していたスイスのシーベル・ヘグナーアンド・コンパニーから外務省の手を通じて六百個のレンズ注文がとどいた。ドイツ品に占められていた欧州へ日本レンズが進出するのは初めて、外貨獲得の新ホープ、というわけで注目もあびている。
このレンズZUNOW(ズノー)F1.1の研究は十年前から始まった。戦争中、日本海軍が薄暮、夜明けの航空探索用に、ズバぬけて明るいレンズを必要とし、F1.2を製作せよと同社の前身帝国光学研究所に命じた。最高の技術を誇っていたドイツでさえ、昭和十四年F1.4レンズの収差(画面のゆがみボケなど)が悪くて生産を中止したほどだ。両氏が苦心を重ねようやくつくったのがやっと三個、そのうち戦災で工場を失い、そのままになった。
戦後再建、それまでの研究から完成の可能を信じF1.1を目指した。1.1といえば、F1.5の倍、F3.5の十倍の明るさだが、それだけに不可能といわれ、光学界から奇人あつかいにされたという。“レンズの虫≠ニいわれた浜野氏がこの間に設計図を書くこと五万枚、0.1_の千億分の1の計算に精魂をこめ、十年がかりでやっと完成した。
九枚のレンズを組み合わせた特殊なタイプの着想が成功して収差がよく、深度の深いレンズの量産が可能となった。現在の生産は五十_ライカ型用、十六_用合わして月産五十見当だが、六百坪の工場もつい数日前出来上がり、来年三月からは月産千五百の予定という。当分は輸出専門で、一個百五十j見当、同社ではさらに明るいレンズの研究にとりかかるそうだ。
外務省経済六課平原毅事務官談
在スイスの萩原公使から取引をしたいというスイスの会社があるが、所在地など報せてほしいといって来たので知ったのだがこんど契約したのはそれとは別に東京駐在のスイス公使館から話のあったものだ。日本にいる米人などのバイヤーの間からも話はあるようだが生産量もまだすくないのだから、当分はスイスの注文に応じる程度で、まず欧州で評判をとった方が着実だと思う。パテントは絶対に売らないといっているし、レンズだけでカメラは造らないといっている態度は賛成だ。すばらしく明るく、輸出の上に期待がもてる。
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戦争中に兵器として開発され、戦災によって全てが失われ、戦後世界に先駆けて明るさの記録に挑んだ・・・いや、なんともZUNOWというレンズの生い立ちはまるでドラマのようだ。
私の他人よりかなり軽めの頭脳の中で中島みゆきの「地上の星」のメロディが流れてきた。
*当時の記事中、帝国光学工業社長の名前が鈴木策雄氏となっておりますが、正しくは鈴木作太氏です。By Jiro Meguro |